ハンガーゼロの様々な活動の報告をいたします。
2024年09月20日
セベロ君、当時17歳。彼は私たちHZが支援している高地・アサワニ地域、トトラニ村の青年です。彼は昨年2023年末に高校を卒業する予定でした。しかし同年8月28日の夜、細く見通しが悪い山道で、乗車していた相乗りの車が約10mの崖から転落し、頭部を強打して意識不明の重体でコチャバンバの町の病院へ搬送されました。そして手術をしてなんとか一命をとりとめることができICUへ入りました。
彼は私たちHZの支援チャイルドではありませんが、ボリビア人の地域担当スタッフが彼の病院へ見舞いに行きました。その時ご両親は「息子を助けて下さい!」と、特に経済的な支援の要請をされました。医者によると、「意識が戻るかはわからず、このまま植物人間になるかもしれない。たとえ意識が戻っても障がいが残る可能性がある。とにかくしばらく様子をみましょう」ということでした。私はそれを知ってまずはいくばくかの援助をさせて頂き、その後どうすればいいのかを思案していました。
あまりにも早すぎる決断
しかし入院5日後、彼のご両親はセベロ君の酸素吸入停止を決断し、彼は亡くなったのです!私はスタッフからその連絡を受け、「何ということ!」と、大変ショックを受けました。
担当スタッフは「"頭部の手術をしただけでも経済的に支払いが困難なうえ、高額なICUにいつまでいるのかもわからない。とてもそんなお金はない。経済的に無理だ!"と考え、ご両親はこの決断をしたのだと思う」と、とても心を痛めていました。私はこの知らせを聞いた時、"悲しみ"を通り越して呆然としてしまいました。「まさか数日でこの決断をするなんて想像もしていなかった。あの時、もっと自分にできることはなかったのか。彼がもし自分の肉親だったならば、とった行動は違っていたのではないか。私は彼を見殺しにしたのと同然なのではないか...?」という自責
の念に駆られました。そして神様に祈りの中で自分の思いを正直にぶつけ、また自分の愛が足りなかったことをお詫びしました。
しばらくして、1971年に設立されたFHの創始者、ラリー・ワード博士が飢餓と栄養失調で死んでいく多くの人々を見て祈った"もし彼らが一人ずつ死んでいくなら、私たちは一人ずつ彼らを助けることができる"という言葉を思い出しました。セベロ君のことは、今も思い出す度にとても心が痛みます。しかし神様が助けの手を伸ばすようにと私に託されるその"ひとり"が誰なのか、そして示されたならばどのような行動をとっていくべきなのかをその時々、場面・場面で神様に問いかけながら、この働きに召された時の思いを変えることなく、真の愛の実践をしていきたいと強く願わされています。