ハンガーゼロの様々な活動の報告をいたします。
2023年06月06日
ドブリデン-こんにちは-。一般的なウクライナ語での挨拶です。けれど、元被占領地域ではあいさつに変化が生まれています。ドブリデン。ティイショジュボイ。ティツラァイ-こんにちは。あなたは生きのびました。腕も足も残っています-。
私たちはハルキウ州とヘルソン州の5つの元被占領地域で人道支援を行いました。発電機や食料の配給、またキッズプログラムなどを通して地元の人々と交流しました。現地の様子を報告します。
村を訪問すると崩れた建物が次々に目に飛び込んできます。村によっては95%以上の家屋が崩壊していました。爆撃によって壁しか残っていない住居、銃撃によって穴だらけになった子ども部屋、残された扉には被占領の証であるZのサインがスプレーされていました。ある男の子がいつも遊んでいる公園を案内してくれました。"雑草のある場所には近づいちゃダメだよ。まだ地雷が埋まっているんだ" 彼が教えてくれました。-爆弾の仕掛けられた公園で子どもたちが遊んでいる-私たちはこの事実に衝撃を受けました。戦争は子どもたちの日常となっているのです。
私たちはいつも人道支援とともに地元住民たちとの情報交換を行います。刻一刻とニーズが変わるからです。ロシア軍に村を占拠されていた恐ろしく痛ましい日々を当事者から伺う中、そこに若者たちの姿が見えないことに気がつきました。ほとんどの若者たちは村を離れ避難したんだそうです。もしロシア兵に見つかれば捕虜にされるか、殺害されるからです。ある若者や家族は戦争初期に村が占領されたため、避難すら叶いませんでした。彼らは地下室に隠れて、小麦を水で溶いたものを食べ、飢えを凌いだそうです。そうした家族に食糧を届けていた婦人からお話を伺いました。
命の危機を何度も潜り抜けながらも
当時お年寄りにはある程度の自由が残されていたそうです。そのため、彼女はロシア兵に隠れながら村人や塹壕に隠れているウクライナ兵に食糧を配布していました。彼女は断食をし、祈ることで、人々を支え続ける勇気を得ました。何度もロシア兵の検問に会い、その都度命の危機に直面しましたが、支援を続けたそうです。"神様がいつも私に知恵を与えてくれたの。だからロシア兵の検問を越えることが出来たのよ。" 当時の様子を笑顔で語る彼女の姿にただ圧倒されました。
同村でロシア軍は二週間に一度、部隊を入れ替えていたそうです。部隊が変わるたびに全ての建物は強盗の被害に合いました。ウクライナ軍による解放までの7ヵ月間、強盗は常態化し全ての家はもぬけの殻となりました。トイレすら持ち去られたそうです。けれど、ロシア軍は兵隊の遺体だけは残していきました。村人にとって彼らはテロリストであり強盗ですが、村人たちの手で遺体を埋葬したそうです。悪に対して悪を返さない。彼らは人として真っ当に生きることで戦争を戦っています。
ほとんどの元被占領地域には何も残されていません。家、学校、病院、幼稚園は全て爆撃されました。仕事もありません。ロシア軍からの奪還後、徐々に若者が村に帰ってきています。けれども復興に必要な助成金や人手は足りていません。人々は瓦礫の山からまだ使えるものを探したり、どこからか飛んできた扉で家の壁を修繕していました。子どもたちは一年以上学校教育から離れています。オンラインで授業を受けようにも設備が足りないからです。復旧が進んだ地域によっては徐々にオンラインクラスが始まっています。けれどそこにクラスメイトたちの姿はほとんどありません。どこに避難したのか、元気でいるのか誰にもわかりません。
車なしでは暮らせない田園地帯の国
ある女性は車を燃やされました。建物であれば補助金が下りますが、車や冷蔵庫などは適応外です。世界の食糧庫として知られるウクライナでは広大で肥沃な田園風景があちこちに広がっています。車なしでの生活は想像ができません。インフラの再整備や住居の再建のための人出が足りていません。ようやく始まった電力インフラの工事も1ヵ月はかかるだろうとの見込みです。
人材不足は教会も同様です。ある牧師は周辺8つの村を一人で支えています。唯一形の残った彼の教会にも不発弾が落ち、天井を抜け壁をえぐった跡が残っています。彼は村々を巡回し、信徒の庭先で礼拝を続けています。地元の人々は心に傷があり、聖書の言葉を聞きたいと願っているからです。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。義に飢え渇く者は幸いです。
その人たちは満ち足りるからです。(新約聖書)
行政は広く多くの人々を支援しようと努力しています。けれど、大きな支援の網からこぼれ落ちてしまう避難民たちもいます。彼らの多くは貧しく、戦争前から社会で孤立していた人々です。私たちはこうした本当に支援の必要な人々を支えるため、手探りの活動を続けています。
この国の人々は様々な方法を通して戦っています。ある人道支援物資を管理する団体のリーダーは "私たちは武器の代わりに愛(人道支援)をとって戦っている。" とおっしゃっていました。また元被占領地域のお母さんは庭先にできたクレーターを見て "夏には子ども用のプールにできるわ"と笑い飛ばしていました。ユーモアも戦う力です。私たちも、人道支援を通して、この戦争に戦うことができます。引き続きご支援よろしくお願いいたします。