ハンガーゼロの様々な活動の報告をいたします。
2022年10月20日
田村治郎 巡回スタッフによるポーランド・ウクライナ訪問記です。
日本国際飢餓対策機構HPのスタッフブログに掲載されていたものを転載いたします。
ブチフ小学校から2回目のコンサート会場であるボリチャ小学校までは、約1時間ほど。やはり田舎町の街道を走ります。私たちの目に突然飛び込んできたのは、見渡す限り一面のひまわり畑。地平線の彼方にまで続くひまわり畑です。残念ながら花の季節が終わった直後だったようで、あの黄色く雄大なひまわりの花を見ることはできなかったのですが、それはそれは壮大な景色でした。
一つ思い出しました。私がちょうど10歳の頃、両親は映画が好きでよく小学生の私を連れて観に行っていたのですが、巨大なスクリーン一面に映し出されるひまわり畑のシーン。それはソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の1970年イタリア映画「ひまわり」の一シーンです。でもその記憶は偶然でなく、あの映画のひまわり畑はウクライナ中部の都市ポルタワ近くにあるチェルニチー・ヤールという村で撮影されました。そしてそのひまわりが咲く畑の下には、第2次世界大戦時に戦死した多くのイタリア兵やロシアの捕虜が埋まっており、そして無数のロシアの農民も老人、女、子どもたちもまた埋葬されているそうです。その悲しい歴史の事実の上に、今また悲劇が繰り返されています。
ロシアがウクライナに侵攻した当初、ウクライナ人の老婦人とロシア兵とのやり取りがBBCニュースで流されました。老婦人は兵士に向かって「あなたたちはここに何しにきたの。侵略者でしょう。この種を持って行きなさいよ。あなたがここで死んだらひまわりが生えるように」と訴える言葉に胸が詰まります。
やがて小さな町に入るとすぐにボリチャ小学校が見えてきました。ブチフ小学校と比べて、規模の大きな学校で、避難者の数も10倍ほどでしょうか。コンサート会場である食堂に入ると何やらいい匂いがしてきます。キッチンを覗くと20名ほどの婦人が黙々とあるウクライナ郷土料理を作っていました。何やら餃子の親玉のような大きさの「ペリメニ」という主に鶏肉を包んで作る水餃子だそうで、何千個とあったように思います。聞いてみると、戦場で戦う兵士の食料として送られるそうで、1日も早い終戦を願い、前線で戦う兵士が飢えることのないようにと祈りを込めて作っておられました。
「祖国の味「ペリメニ」を作る婦人」
ここでも日本語・英語・ウクライナ語と織り交ぜながらのコンサートです。ここにはティーンエイジャーも多数おり、少々照れながらも子どもたちやお年寄りに混じって楽しんでいました。
「ポリチャ小学校でのコンサートの様子」
コンサートが終わって、東部から避難されてこられたご家族に短くインタビューをさせていただいたのですが、その最後に森さんから「何か日本へのメッセージはありますか?」との問いかけに、異口同音静かに語ってくださったのは「日本が平和でありますように」でした。「平和」という言葉、平和な日本で聞く「平和」と、今現実に平和が破壊されている地で聞く「平和」、同じ言葉でもその重さの違いを受け止めた思いです。
「インタビューに答えてくださったご家族の皆さん」
聖書に「平和をつくる者は幸いです」という言葉があります。誰しも「平和」を愛し「平和」を願うでしょう。今私たちの生きるこの世界は混沌としており、取り返しのつかない結果を招く一触即発の案件は枚挙にいとまがありません。だからこそ私たち一人一人がそのところで「平和」を作り出すPeacemakerと生きることの大切さを、一面のひまわり畑を思い出しながらしっかりと受け止めました。
「コンサート後の記念撮影」
さて、そこを失礼して私たちは一路西部の都市リヴィウへと向かいました。車は幹線道路から離れ、幾つもの村をつなぐ悪路を走ります。その途中、小さなロータリーに何やら多くの村人が手に手にローソクを携えて道端に集まっておられました。お伺いすると、この村から出兵した兵士が戦死し、今その遺体が今日村に帰ってくるのだそうで、皆でそれを迎えるためにここに出てきている、とのことでした。目の前に広がる光景に、やはり「ここは戦場」と改めて身も心も引き締める私たち一行でした。
次回は続けてリヴィウでの病院訪問やコンサートの様子を報告します。