ハンガーゼロの様々な活動の報告をいたします。
2022年10月14日
田村治郎 巡回スタッフによるポーランド・ウクライナ訪問記です。
日本国際飢餓対策機構HPのスタッフブログに掲載されていたものを転載いたします。
さて、今回から現地での活動を報告します。
8月15日の午後ワルシャワに到着した私たち一行は、休む間もなくウクライナとの国境の町プシェミシルへ。
「国境の町、プシェミシルへ」
大型のバンに支援食料を大量に積んで、HungerZeroの現地協力者の王(ワン)さんの運転でアウトバーンをひた走ること6時間!「お茶の一杯くらい・・・」と森さんのため息をワルシャワに残し爆走!ちなみに車のエアコンは壊れていて、この時期ポーランドでも日中は30度にもなり、窓を全開に、爆風を顔面に受けてのドライブです。
今回、現地のアテンドをしてくださった王さんは、台湾人の青年(自称)で、以前台湾で日本企業で働いていたり、ウクライナ大学での留学経験があったりと、日本語・台湾語・ロシア語・ウクライナ語に堪能で、今回は何から何までお世話になりました。また彼は超人的な体力の持ち主で、少ない睡眠でもポーランド~ウクライナ往復のべ50時間以上のドライブを居眠りすることもなく、全くの疲れ知らずでハンドルを捌いてくれました。
「現地協力者の王さん」
私たちは彼を尊敬と感謝の思いを込めて「サイボーグ001(ワン)」と呼ばせてもらいました。そんなこんなで夜の10時過ぎにプシェミシルのホテルに到着。食欲と睡魔、どちらにも打ち勝てず唯一のレストラン・マクドナルドのハンバーガーをお腹に流し込み、爆睡。
翌朝は6時過ぎにホテルを出発して、いよいよウクライナに入国です。戦争当初はウクライナからの避難民でごった返していたTESCO(元大型スーパー)避難所に寄り道。一時閉鎖していたこの場所が現在はまた小規模に再開していました。
さあ、ここから国境越えです。私たちは支援食料を積んでいましたので、一般レーンでなく「人道支援優先レーン」を通って出国・入国手続きをし、ほぼ1時間でスムーズにウクライナ入国です。
「国境を越えウクライナへ」
しばらく長閑な田舎道を通り過ぎて1時間ほど、最初のコンサート場所であるブチフ小学校に到着しました。時間は朝8時過ぎ、まだ子どもたちは寝ている時間でした。小さな校舎が1棟あるだけで、コンサートをどこでするかバタバタ準備をしているうちに、一人二人と子どもたちもお目覚めで、結局廊下に椅子を出してそこがステージとなりました。
「最初のコンサート会場プチフ小学校」
参加くださったのは15名ほどの子どもたちや数名のお母さん、一人のおじいちゃんで、「幸せなら手を叩こう」など日本語の歌にも一緒に手やお尻を叩いたり、元気に足踏みをしたりと、笑顔のコンサートとなりました。またこの後のコンサートで歌うのですが、2曲のウクライナ語の歌(ウクライナ国家・ウクライナ讃美歌)も一緒に口ずさんで、コンサート後も撮影大会やゲーム大会、人懐っこい子犬と戯れながら、しばらくの時間でしたが楽しい時間を過ごしました。
そうこうしているうちに、次のコンサート会場であるボリチャ小学校に移動しなければいけません。お暇のご挨拶をすると、ここで何から何まで事細かにお世話くださったご婦人が、「食事して行きなさい」と私たちをキッチンへ。その方はロダさん(薔薇という意味)といい、その名のように明るく元気なご婦人です。でもご家族のことをお伺いした時、あんなに元気で明るかった顔が一変。「夫は先月マリウポリの戦場で戦死しました」とポツリと語られた。ここにおられる一人一人は、こんな言い知れぬ痛みや悲しみ、不安を抱えて過ごしておられるんだという現実を、子どもたちの溢れるような笑顔の向こうに見る思いでした。それは、これからの場所で出会う一人一人の人生にも同じで、どんなに長閑な風景の中にあっても、やっぱりここは「戦場」なんだと思いを新たにする経験でした。
「ロダさん(黒いTシャツのご婦人)」
さて、次回は2つ目のコンサート会場の様子や病院訪問など報告します。
「プチフ小学校でのコンサートの様子」
12月2日~1月末の期間、クリスマス募金となります。
今回支援する(クリスマス募金)毎月1000円から任意の金額で始めて頂けます。
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