【追悼】堀内 顯 創立理事長 | 活動報告|ハンガーゼロ

活動報告

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【追悼】堀内 顯 創立理事長

ハンガーゼロ(日本国際飢餓対策機構)創立理事長の堀内 顯(あきら)先生が2020 年12 月11日に天に凱旋されました。

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 堀内先生は1981年、アメリカのFHI(国際飢餓対策機構)の総裁であった山森鉄直氏と出会い、日本国際飢餓対策機構を設立されました。山森氏はこの活動はアメリカだけが働いていたのでは広がっていかない。日本にパートナー団体が必要と考え、日本で働いている宣教師に助言を求めたところ、どの宣教師も大阪八尾の堀内牧師を推薦されたそうです。

 堀内先生はすぐに理事会を組織され、日本中に支援を訴えられました。まだNGO が一般的ではなかった時代でしたが、多くの人々や組織を巻き込み、支援の輪は大きく広がっていきました。

 さらに他の国にパートナー団体が必要であると考え、1989年フィリピン・マニラで行われたローザンヌ国際会議に出席された時に、旧知であった韓国の尹(ユン)牧師に働きかけ、翌年に韓国国際飢餓対策機構(KFHI)が生まれました。現在KFHI は韓国で最も有名なNGO の一つです。さらに香港、台湾にもパートナー団体を生み出しました。

 堀内先生は80年代に動乱状態が続いていたタイやインドにも度々足を運ばれました。そこで一つの光景を目にします。それはカルカッタのホープアカデミーで、一人の男の子が小さなパンを持って帰ろうとする姿です。学校の指導は、学校で出された物は家に持って帰らないというものでした。しかし、規則を破ってもお腹をすかしている弟や妹に、パンを食べさせてやりたいという優しい気持ちを持った子どもに出会い、心が大きく揺さぶられたと語っておられました。先生は後にそのことを「飢餓対策ニュース」で次のように記しておられます。

 途上国で、希望の見えない世界に光を灯す人々とたくさん出会いました。二つのパンの一つを、あるいは一つのパンの半分を、二日も何も食べずに水だけで飢えている妹や弟にやろうと、自分はがまんして持ち帰ろうとしている子どもたちを見ました。自分が教えてもらった技術で作った田の収穫を見て、喜んで他の村人にお米を分けている農夫も見ました。書けるようになった文字をながめ、読めるようになった本を大声で読んで、人に聞かせて喜ぶ婦人たちの集まりにも行きました。貧しさの中から自立して生活できるようになった多くの人々の感謝の言葉も聞きました。これらの人々にとって、今の世界は決して冷たいものではありませんでした。皆さんの温かい心が彼らを励まし、遠くにいるけれど温かさを近くに感じる世界です。(2001 年6 月号)

 生前、先生が私に言われた一つの言葉が今も私の心に鳴り響いています。
「どんな状況にあっても、君は貧しい人々、最も小さな人々の立場に立って考えなさい。それが神様が望んでおられることだから」

ハンガーゼロ理事長 清家弘久

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